不妊女の毒吐きブログ

不妊により心が腐りました。

「心療内科」に行くことになった理由、宗教 最終回のつもりだけど

前回からの続き

不妊治療のことを打ち明けたところ、様々な課題を課されたと前回書きました。

詳細を書いていこうと思います。

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初めての胚移植(受精卵を子宮に入れる)を控えていた頃、ちょうど選挙の時期でした。創価学会は支持政党の支援活動をしており、母から、「大事な時なんだから、いっぱい頼むんやで、選挙が一番結果出るから」と言われました。※功徳により、私の願い事が叶う、つまり妊娠すると云うこと。そして、選挙は色々ある諸活動の中で、世の中に影響を与えることなので、世の中を良くすれば功徳も大きいと考えての発言(私の解釈です)。

自分の願い事や希望を叶える手段として、功徳を積む行動をすることは、子どもの頃から聞いてきたことだし、母が言っていることの意味は理解できました。しかし、共感は出来ませんでした。共感出来なかったのは、以前投稿した、母からの心無い言葉により、母を拒絶する気持ちになっていたこともありますが、結婚後に所属した創価学会の女性グループでの出来事も影響しています。

創価学会では、性別や属性などで、グループ分けがあり、既婚女性や子どもがいる女性が所属するのが、婦人部と言われるグループです。諸活動や会合はこのグループ単位でするのが基本で、結婚前に所属していたグループ(女子部)は、学校の部活動のような感じで、尊敬する先輩もいたし、凄く楽しかったです。しかし、婦人部は私には合いませんでした。※今は、女子部と婦人部が1つのグループになり、女性部に変わっています。

私が居住していた地域の婦人部は、幹部の人はだいたい専業主婦でした。幹部になるには、活動時間を割ける必要があるので、当然かもしれませんが、シングルマザーなど働かざるを得ない理由が無い限り、女性は働くことよりも、家族の為に尽くすこと、創価学会的には自分が一番活動に力を入れることが、重要だと考えているようで、私が働いていることに疑問を感じているようでした。それと、婦人部は、既婚の子持ち女性がメインのグループなので、そうした属性の人が集まると、子どもの話が中心になります。だからか分かりませんが、自分達こそが女性のあるべき姿だと暗に思っていて、子どもがいない私に、赤ちゃんまだなんか、女性の役割を果たせ、と言ってきたり、流産や不妊治療のことを打ち明けると、自分の妊娠出産体験を話し、あなたも大丈夫よ、と言われました。そうした発言に対して、子どもがいない貴女は女性として不足している、と言われたように感じ、流産により出産に辿り着かず、高度な不妊治療を受けても妊娠しない自分と、自然の流れで妊娠出産した人を比べて、自分は劣っていると感じました。そして、私は、自分の存在価値を見失い、生きていても仕方がない、自殺したい、と思うようになりました。

そうした状況で、母や婦人部の人は、学会の活動をして功徳を積んだら願い事が叶うと言って、私の苦しみを受け入れもせず、寄り添ってもくれず、活動を解決策に見立てました。

一方で、嫌な人もいる職場でしたが、不妊治療中と知って、仕事のサポートをしてくれた後輩、子どもを望んでいることを話すと、子宝祈願で有名な神社にわざわざ行って、御守りと応援の言葉をくれた上司。そして、夫は、私の話をいっぱい聞いて、側にずっと居てくれました。

私は、産まれながらに周りと宗教が違っていた為、社会に対して疎外感を抱いていました。しかし、不妊に苦しむ私を想いやり支えてくれことたのは、母でも、これまで仲間だと思っていた学会員の人達でも無く、私が社会で出会った人々でした。

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やっぱり次回に続く(笑)