こんばんは。
先日、2人目の不妊治療をスタートしました。私は元々自分のことを他人に話すタイプではありませんが、もし、不妊治療していると話すとしたら、治療を経験した友人か、本当に信頼できる友人にしか話せません。
話せない理由は色々あります。私の女性としての価値や能力の見下し、不幸や不憫に思う勝手な同情、そこまでしてでも子どもが欲しいんだと、妊活をやりつくした上で、それでも出来ないから治療に進むと悲劇的に捉えられがちだと感じるからです。どうしても誤解される印象です。
私たち夫婦は、遠距離恋愛を挟んで結婚しました。カップルには色々な関係構築の方法があると思いますが、身体の関係がそこまで2人の関係性に影響しない、むしろ、お互いに働いていて仕事との兼ね合いで、家ではゆっくり休みたい。というか、仕事で気力体力を使い果たしていました。
子どもは欲しく無いとは思っていないけれど、少なくとも女性の私は今と同じ働き方は難しくなる。子どもがいる先輩や同僚は疲れ切っている。かと言って、働かないと経済的な不安が次は襲ってくる。子どもを持って大丈夫とは思えませんでした。だから、妊活には消極的でした。
しかし、結婚生活を送る中で、偶然にも妊娠しました。そのまま出産に至っていれば、こんなに悩まず、自然の流れで家族になれたと思います。でも、そうはいきませんでした。子どものいない結婚生活が続き、やがて不妊治療に至ります。
治療に踏み出した理由の60%ぐらいが、周囲からのプレッシャーに負けてです。その中には、親孝行として孫の顔を見せるのも含みます。私はそれが親孝行とは思っていませんが(親孝行のやり方は色々とあって、孫の顔を見せることだけとは思っていないから)、会うたびに暗い顔をされて、私たちのせいで不幸と言わんばかりの姿に、気が滅入ってしまいました。
そして、残りの40%は、意図せず授かったお腹の子どもを愛していたからです。ほんの数週間ではあったけれど、実はあの時、私の人生は子どもがいる人生になった様に感じます。あの時会えなかった我が子に会いたい。その気持ちが、治療を進めるにつれ強くなり、治療を続ける理由のほぼ全てになりました。
私たち夫婦は結果的に不妊治療を受けましたが、妊活していないので、妊娠に関しての「能力」の有無は分かりません。ただ、躊躇しているうちに年齢を重ね、個人差があるものの妊娠では年齢が能力となるので、不妊治療を始めた時には、ホルモン値や卵子の残存数、卵管閉塞など、治療無しでは妊娠出産できる状態ではありませんでした。
どうしても子どもが欲しいからというのも、間違いでは無いけれど、子作りの手段として、私たち夫婦には不妊治療が必要で適していたから選んだのであって、自然に出来なかったから仕方なくと捉えられると、それは違う。しかし、そう捉える人が多くて、話し辛い原因になっています。
確かに治療は大変でした。特に、体外受精になると、女性の負担が非常に大きいです。これが自然妊娠だと無いと考えると、避けたいと思うのは当然です。これだけやったのに、結果が出ず、費用の支払いに追われる中、周りはいつの間にか妊娠出産していく。ストレスや不安は凄まじく、心療内科にかかったり、不妊治療に関連する鍼灸院や、サプリ類、運動や食事など、日常生活の全てが不妊治療で埋め尽くされていきました。苦しかったのは事実なので、話を聞いて、不幸に感じて同情されるのも分かります。
出来れば、他人からハッピーに思われて、人生が上手くいっているように見られたい。しかし、不妊治療していると話せば、そうでは無いと言うようなもので、ネガティブな反応だったり、最悪の場合、自分やうちの子は違うから良かったと、比較されて、自分の幸せの確認に利用されます。それが嫌だから、黙っていると、治療に後ろめたさを感じるから隠しているような感覚になり、どんどん気分が落ち込んで、自尊心や自己肯定感が下がっていきました。そうならない為には、もっと気楽に自分のことを話せたら良いのですが、不妊治療については、なかなか難しい。
今回の2人目の治療も、人知れず通院すると思います。そして、今また周りでは妊娠や出産の話が出ています。治療がさらに進むにつれ、1人目の時のように追い詰められないか、若干の懸念を感じています。
私が不妊治療をポジティブに受け止めるには、周りの人にもポジティブに認識して欲しいと願望を抱きつつも、このブログ名からして、ネガティブの原因を自分で作っている気がします。だから、まずはブログ名を変えようと思います。
まだ決めていませんが、今月中には決めたいです。
それでは、今日はこの辺で。またね。