不妊女の毒吐きブログ

不妊により心が腐りました。

出産に向けて感じるプレッシャー

おはようございます。

32週目を迎えました。いよいよ妊娠9ヶ月、出産が視野に入ってきました。 


特に大きな体調不良も無く、逆子というのはありつつも、仕事には行っています。

その仕事も、来月半ばから産休に入る予定。

そんな中、私と夫の母達が騒がしくなってきました。


元々、両方の母達は、今どきの言葉だと「産めハラ」をしてきて、私が心身を病んだ理由の1つです。


私達夫婦はお互いに一人っ子。母は、私にとっての祖母(母にとっての実母)から、子ども1人しか産んで無いからあんたはアカンと言われたり、一人っ子だから私はトロいと言われたり、散々な事を言われていたのを覚えています。

母はどう感じていたかは分かりませんが、自分や娘のことを貶されて、嫌な思いをしたことは間違い無いと思う。そんな母が、子供のことを口出ししてきたのには、自分がされて嫌だったことを私にはするんだ、とがっかりした。


そして、夫の両親も、結婚して17年目で一人息子を授かった経緯があり、自分たちは、子供のことで周りから色々と言われて辛い思いをしたから、絶対に孫の話はしないから、と言っていたのに、会えば、孫が欲しい、早く子供作れ、仕事なんてどうでも良いやんと、私にプレッシャーをかけてきた。第1子を妊娠中の今、既に2人目の話をされる。


上手く言葉に出来ないけれど、母達を見ていると、世間の当たり前や声に毒されているような気がして、私はその毒にやられて倒れたパターンだけど、自分の人生を生きるのって、難しいんだな、と痛感した。


両方の母は、孫のことで頭がいっぱい。楽しみにしてくれているのは分かるけど、無事に出産出来るのか不安になってきたのと、万が一何かあったらどうしようとプレッシャーを感じるようになり、昨日は泣いてしまった。


今、一番大切なのは、お腹の赤ちゃんなのに、親のことを気にしてしまうのが情けないし、悔しいし、感情を上手く処理出来ない。


最近、お腹が大きくなって、遠出するのがしんどくて、都心の心療内科に行けていません。話を聞いて貰うだけでもスッキリするから、本当は行きたいんだけど。つらいな。


まぁ〜ブログに書くだけでも、だいぶ気持ちがマシになるから有り難い。


変な終わりかただけど、要は愚痴らせて貰いました。読んでくれて、ありがとう。またね

一人目を産む前から二人目を悩む理由

おはようございます。

昨日は31週目の妊婦検診でした。やはり、逆子のままでした。鍼灸院の先生から、逆子だったらどういう状態か聞いてきてと言われ、確認しました。


・赤ちゃんの大きさ

・胎盤の位置

・体育座りの状態か、足を伸ばしているか

・胎盤の位置

・臍帯が絡まっているかどうか など


上記確認して、鍼灸院の先生に伝えたところ、逆子としては難易度の高い状態で、治すのは難しいかもしれない、とのこと。


通院先の病院は、積極的には逆子を治さない方針。帝王切開の実施件数が多く、病院によっては、自然な分娩(経腟分娩)を推進していたり、畳の上で家族に囲まれて分娩出来たり、母子の安全が第一だけど、出産に対する考え方が病院によってあるみたいで、私は高齢出産に当たるので、病院選びの際は、帝王切開を視野に入れていました。


帝王切開に抵抗はありません。しかし、私は不妊治療で、受精卵が胚盤胞まで育たなかったり、胚盤胞になっても移植出来る質では無かったりで、これまでの移植は、質の低い胚盤胞を2個移植(陰性)、分割胚を2個移植(陽性、現在の妊娠)してきた経緯があります。2個移植は、多胎妊娠になる可能性があり、双子は可愛いけれど、母子共にリスクも高く、帝王切開で出産経験があると、2個移植出来ない、という話があります。


鍼灸院の先生は、そうだと言っていたし、ネット検索したところ、必ずしもそうだとは限らないようだけど、推進はされていないみたい。まだ、一人目を無事に産めるかというところだけど、二人目を考えると、帝王切開を躊躇する気持ちも出てきました。


さて、どうして二人目のことを考えてしまうのか。


正直、複数の子どもを望むなら、20代から妊娠出産を視野に入れておいた方が良かったと思うし、だけど、私はそうはしなかった。私にとっては、結婚して家族を持つことより、働くことの方が重要だった。縁あって、結婚したことで、周囲が家族を持つこと、つまり、子どもを持つことを期待し始めた。そうして、なかなか子どもが出来ない状況に、女性の私が非難されるようになり、自分でも周囲の言葉が自分の考えのような気になり、妊娠しないといけない、子どもがいない私は恥ずかしいと思うようになっていった。


そして、第一子を妊娠中の今、産まれる前から、第二子のことを言われることもあり、また周囲の意見を自分の生き方にしてしまい、二人目を目指すのが当然のような気持ちになっているのでは無いか。


そもそも、私はこのブログで、子どもを望んできたような書き方をしてきたけれど、望むようになったきっかけは、予期せぬ最初の妊娠、そして、流産したことだ。私だけで無く、夫も、子どもは好きだけど、成り行き任せなところがあり、子作りは積極的にしなかった。しかし、妊娠は思いがけない喜びで、夫婦で喜びの舞を踊った(笑)。その後、残念なことになり、少し月日は流れ、私は資格の勉強もしていたけれど、子どもを望むようになっていた。不妊治療について夫に相談すると、望まれて産まれてくる子は幸せな子だから治療しようと、どうやら夫も子どもを望むようになっていたようで、そうして、今の妊娠がある。


周囲のプレッシャーもあったけれど、不妊治療をしたのは、私達が希望したから。そうすると、第二子はどうだろうか。

今、一番大切なのは、第一子のお腹の子だから、一旦、二人目のことは考えなくて良いと思う。


鍼灸院の先生によると、2個移植で妊娠、帝王切開で出産した人で、二人目は自然妊娠した患者さんもいた、と。そして、出産を経て子宮内部が変わることもあるし、逆子には逆子の理由があり、結果的に帝王切開で良かったね、ということも多々あるから、下からの出産にしろ、帝王切開にしろ、赤ちゃんが産まれやすい方法を選んだと思って、お母さんは悩まんで良いよ、と言っていた。


赤ちゃんの安全が第一、だから、もし、帝王切開になっても、二人目云々は置いておいて、また、私達夫婦が二人目を望んだ時に、方法を考えようと思う。


来月末には、産まれているかも。どうか、この子が無事に産まれてきますように。


それではまたね〜

マタニティフォトを撮った理由

こんにちは。


ついに、マタニティフォトの撮影に行ってきました。年齢的にも、世間的にも、腹出しはどうかという声はありますが、女神衣装で、腹出しフォトしました。毛やら妊娠線は修正してもらうので、出来上がりが楽しみです。


因みに、私の性格は暗めだし、自己主張が苦手だし、パリピでも無いです。そんな私が、なぜマタニティフォトをしようと思ったかというと、不安な妊娠期間を乗り切りたいからです。


くどい程投稿してきましたが、私は以前の妊娠は残念なことになり、不妊治療を経て今回の妊娠です。


不妊治療あるあるだと思いますが、自然妊娠なら知らずに済んだこと、自分の身体の状態や受精卵のグレード(評価)、妊娠までの過程を知っているからこそ、大丈夫かな?と不安に感じる気持ちが強いです。


受精卵は一旦凍結保存したものですが、顕微受精にあたり、採卵は病院でしましたが、精子の採取は自宅だったので、病院に運ぶまでにトータル2時間前後かかったと思います。


自然妊娠なら、タイムロス無しですが、容器に入れて、タオルにやんわり包んで保冷バッグに入れたものの、こんなに時間が経った精子で大丈夫なん?と感じました。


妊娠は何となく自然妊娠が最良だと考えていて、それを人工的にしたので、疑心暗鬼というか、疑う気持ちが残っていて、妊婦検診に行く度に、何かあるのではと不安です。ただ、検診時に不安を感じるのは、自然妊娠の場合でも同じなんだとは思います。


一方で、検診の度に、成長している我が子に驚きと感動を受けます。無事に産まれてきて欲しいという前提はありますが、もしもこの先辛いことが起こったとしても、今、検診でみせてくれる姿を大切にしたい、そんな気持ちから、エコー写真にコメントを書き込んだアルバムを作っています。


マタニティフォトは夫と一緒に撮りましたが、夫は写真に写るのが本来は嫌なタイプ。しかし、既に沢山幸せを貰っているし、幸せな今を撮ろうと、撮影に好意的でした。


少し心配なのは、30週現在、逆子だということ。来週、助産師さんと相談予定で、鍼灸院にも逆子治療の予約をしています。


身近な人で、出産経験のある女性達は、色々と自分の体験を話してくれますが、二人目の体験談を聞くと、私だって、この妊娠は二人目だよ、と心の片隅でチクチク傷むものがあります。

一方で、お子さんが複数いるからといって、順風満帆な妊娠や出産ばかりだった訳では無く、あえて口に出さないけれど、辛い経験をしている人もそれなりにいると分かりました。


不妊治療中は、追い詰められていたから、子連れの人、マタニティマークを付けた人に、憎悪を抱くことも多く、絶望感で押しつぶされていました。

妊娠したから、理解出来たというのは都合良すぎだと感じますが、自分が体感して分かったこともあります。


とにかく、どんな立場であれ、自分と違うように見える人のことを、思い込みでケチをつけるのは、本当に良くない。そう感じます。


マタニティフォトも、調子乗っていると思っていましたが、それは違っていました。

妊娠中の今は今で、大事な人生の一コマで、記念写真を撮るのは良いことだと感じました。


それでは、また来週〜