不妊女の毒吐きブログ

不妊により心が腐りました。

出産の先にあったもの

お久しぶりです。

可愛い子が産まれてきてくれました。

私の人生で、感動の出来事です。

私もいつかは死ぬ訳ですが、その時、走馬灯のようにそれまでの出来事を思い出すとしたら、絶対に思い出したい、何度も思い出したい、そんな瞬間でした。


この子の誕生までには、しつこいようで恐縮ですが、流産、不妊治療で苦しんだ日々がありました。だから、妊娠後も、楽しみというよりは、本当に産まれてくるのか、不安の方が大きくて、素直に喜べず胸が痛かった。そんな中、たまたま、職場の先輩の娘さんが授かり婚して、めちゃくちゃ楽しそうにしている様子を見聞きするたびに、苦しみを知らない羨ましさや、何の恨みも無いのに、憎しみを抱いてしまい、どうしたらこの気持ちが消えるのか悩みました。私も、楽しんだり素直に喜びたかった。せっかく芽生えた命なのに、こんな気持ち、最低。何より、どこか妊娠は私のもので、急に私のテリトリーに割り込まれた気がして、腹が立った。あきらかに、私の受け止め方の問題だけど、口には出せないからこそ、あえて書きました。


出産が近づいても、マタニティクラスには参加せず、赤ちゃん用品は、一組肌着セットを買うのが精一杯で、母に準備をお願いしました。


そうして迎えた出産。産声が聞こえて、全てが明るい方向に変わる気がしました。


しかし、帝王切開の傷が痛む中で、すぐに授乳が始まり、私は元々陥没気味の乳首ですが、胸がパンパンに張って、赤ちゃんがおっぱいを吸えない状態になりました。初乳の大切さを入院してから知り、かなり焦りました。

乳首の保護器を付けて、3時間毎に取り組むも、全く上手くいかず。吸えないのに、無理やり押さえられ、咥えさせられ、泣き叫ぶ我が子と毎回向き合うことに。

そんな私をよそに、授乳室では他のお母さん達は母乳を吸わせています。何だか、不妊治療の時に感じていた惨めな気分をまた感じ出して、他のお母さんは助産師さんに褒められているのに、私は上手くいかず、中には厳しいことを言う助産師さんもいて、不公平感や不条理に、心を病みました。


そもそも、母乳は自動的に出るものでは無く、根気がいるものらしいです。安定した量が出るようになるには時間がかかるし、本当に人によって違うから、人と比較して落ち込む必要は無い。ただ、世の中では、母乳が出るのは当たり前で、むしろ出て困っている、みたいなイメージすらあり、現実とのギャップに困惑するのは、私だけでは無いと知りました。


今の(粉)ミルクは良く出来ているから大丈夫と言われても、母乳の免疫力など、凄さや素晴らしさを、これでもかと入院中に刷り込まれて、ミルクをあげている自分は、ダメな人間のような気持ちになり、世の女性達が必死で母乳に拘る理由が分かったし、母として、我が子の為に頑張る気持ちも分かりました。


私の落ち込みが非常に激しく、赤ちゃんとの同室を拒否したことで、産婦人科の助産師さん達は、沢山フォローしてくれました。


母乳の良さは事実ではあるけれど、母乳が全てでは無い。育児を楽しんで欲しいのが一番だと、言ってくれました。


結局、ミルクで育てていくことになりましたが、母乳をあげられない後ろめたさは無くなりません。幸い、赤ちゃんはミルクをよく飲み、育っています。母乳を飲ませようとして、泣き叫んでいた姿を思うと、こっちの方がハッピーじゃん、と感じるようになってきました。


妊娠→不妊治療

出産→帝王切開

授乳→(粉)ミルク


私の場合、全てが自然とは違う、通常とされるものとは違うから、世の中の情報と接した時に、摩擦を感じます。しんどくなって当たり前なのかもしれません。

自分を責めず、周りに振り回されず、私の妊娠、出産、育児、を前向き捉えたいです。


さて、一難去ってまた一難。


赤ちゃんと実家に帰省して、いよいよ子育てがスタートしました。母は良くしてくれていますが、またしても問題発生。


それについては、またの機会にします。


あと、出産しか見えておらず、出産後のことをほとんど考えたり勉強しておらず、母乳の件を始め、全て後手後手になっています。 


辛かったことに区切りをつけて、やるべきことに目を向けるべきだったと反省しています。でも、ブログで過去のモヤモヤを吐き出せたからこそ、前進出来たのも事実。私には整理する時間が必要だったのだと思います。


それでは、またね