不妊女の毒吐きブログ

不妊により心が腐りました。

気持ちを変えて行動を変える

めちゃくちゃ疲れた。最近、寝れなくて。既に心は壊れていたけど、体までガタガタです。どうして、こんな状態になったのか。宗教をやめてブログに書いたからバチが当たったのかも、って少し思ったり。バチなんて存在しないけど、色々聞いてきたし、多少は気になります。でも、根本的には、神様のせいでも、他人のせいでもなく、自分がどう思うのか、ってところなんだと、不妊という出来事から学びました。

色々不幸に感じる生い立ちではあるけど、高校や大学にはスムーズに進学出来たし、就職も出来たし、失恋の辛さも経験していない。夫婦で働いてきた分、割りと経済的には恵まれた暮らしをしていると思うし、私は気づいていなかったけど挫折を経験したことがなかったみたい。むしろ、私は努力して自分の人生を切り開いてきた凄い人間だって自信過剰になり、周りの人達を見下してきた。だから、不妊を受け入れられず、他人を憎んだり、バッシングして、不妊である自分を守ることに執着して、不妊を何とかしようでは無く、不妊によって傷ついた自信を取り戻そうと必死だった。

毒を吐くとスッキリするどころが、かえって毒におかされると、このブログを始めて分かりました。愚痴るのは、ストレスをためない上で大事だとは思うけど。

それと、会社の先輩が、社会って思い通りにならないことがあるってことを学ぶところだと言っていました。私の場合、不妊により、社会生活を送ることが難しくなり、この数年だいぶ辛かった。先輩の言葉通りなら、私は学んでいるところなんだと思うし、毒吐きブログだけど、そろそろ、違う方向性に変えていこうかな、って思います。

私は、子どもを大切に出来る親になりたいです。その為に、健康管理や不妊治療の方にエネルギーを向けて、私たち夫婦の元に赤ちゃんが来てくれるよう行動していこうと思います。

マタニティーマークを見るのが辛い

最近、転職先の仕事にも少し慣れてきました。仕事で前向きな気持ちになれたらと、朝は出来るだけ自分なりに気持ちを上げて出発しますが、通勤のバスや電車でマタニティーマークをつけた女性に遭遇すると、めちゃくちゃテンションが下がります。前は、マークを付けた人を見かけると、妊婦さんが無事に席に座れるか、気に掛けていました。今は、マークを見た瞬間、鳥肌が立って、急いで違う車両に移動するか、移動出来ない時は目を閉じてイヤホンをして、耐えています。

マタニティーマークは、妊婦しました、ってアピールする為のものでは無いと分かっています。それでも、あの幸せそうなマークを見ると、むしずがはしり、悲しみや怒りがこみ上げて、どこにも発散できない感情で、頭が爆発しそうになります。マークをつけている人に何かされた訳では無いけど、頭にきます。でも、私とは何の関係も無い知らない人だし、気にする方がおかしいけど、妊娠中だから気にして下さいと周知する為のマークだから、やっぱり気になります。

私も妊娠したら付けると思うけど、その時に、私は今抱いている気持ちを他の人から浴びるかもしれない。こんな感情、知りたくなかったし、感じたくなかったし、他の人に感じて欲しくないです。

少子化って言葉を撤廃して

今日もですが、ここ数年、政治の世界では少子化対策がトレンドですね。民間でも、前職の会社では、産休や育休制度があり、活用している人達もいました。そうした人達を、応援する気持ちは勿論ありますが、妊娠出産までの過程があまりにも私と違い、不公平感や不条理を感じたり、様々な制度があるからこそ、なぜ子ども作らないのかと上司や先輩から言われたり、複雑な気持ちでいました。

一方で、私は不妊治療で、助成金をもらったり、昨年4月からは保険適用され、金銭的な応援を税金からしてもらっています。だから、不満を言える立場では無いと分かっていますが、今の世の中で、私が感じている気持ちを書かせて頂きます。

子どもがいない人の個人的な悩みは、今も昔もあると思いますが、子どもが少ないことが社会問題だとされると事情が複雑になりそうです。もし、自分に子どもがいたら少子化問題の責任は自分には無いから、社会問題を子どもがいない人の個人の問題だと考える人が出てきそうだし、子どもがいない人は、少子化問題の原因は自分にあると責めてしまってもおかしくないと思います。私は、後者の立場で、そんな風に思ってしまい、日々のニュースを見聞きするのが辛いです。

出産子育て関連の政策や制度も、不妊治療の助成金や保険適用も、どちらも少子化対策ではありますが、不妊治療の方は肩身が狭いです。よく、不妊治療にお金を回すぐらいなら、産める人や子どもがいる人の支援に回せってネットのコメントで見かけます。少子化を問題とする以上、問題をクリアした人達が世間では優遇され、勝ち負けというのはおかしいですが、勝ちなんです。だから、私は今の世の中で生きているのがしんどいです。

少子化は確かに国を存続する上で一大事です。例えばですが、少子化対策を「子ども支援対策」と用語変換して、子どもを産み育てる大人に焦点を当てるのでは無く、産まれてきた子どもが幸せに暮らせるように、子どもに焦点を当てるようにしたり、不妊治療の種々の支援を、子どもを望む全ての人が利用できるサービスとしたり、支援する相手を変えたり支援の幅を拡げたりと、問題の対策では無く、みんなが生きていて幸福を感じるような世の中に向けての取り組みとして貰えると、嬉しいです。

こんな風に書くと、子どもを産み育てている人達のことを排除するようだけど、子どもが幸せに暮らせる社会は、つまり、親にとっても暮らしやすい社会であると思っています。そして、少子化を問題としないなら、子どもがいない人にとっても居心地が良い世の中に感じられると思います。