不妊女の毒吐きブログ

不妊により心が腐りました。

「心療内科」に行くことになった理由、母 その2

前回のつづき

母からの子作りのプレッシャーとは、私を攻撃するような、心無い言葉です。

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流産後も、私は実家に定期的に帰っていました。実家に親戚が来ていた時です。私がペットの世話をしていると、母は唐突に「よその子は子どもの世話してるのに、この子はペットの世話なんかして恥ずかしいわ」と言ったのです。親戚も笑って、「早くせなあかんで、ばあちゃんにひ孫見せてあげやな」と言いました。心拍確認前だったとはいえ、流産に胸を痛めていた私は、傷をえぐられたような苦痛を感じました。

母は昔から、親戚の前で笑いをとるために、私を茶化す癖がありました。

私は、ほんわかタイプとか、癒し系と良く言われますが、つまり、おっとりしていて、悪く言えば、ボーっとしているように見えるみたいです。嫌な目に遭っても、言い返したり、怒ったりしないから、何を言っても大丈夫だと思わせてしまう側面があるようで、夫に言わせると、私が損している部分とのことです。もしもこの時、「流産したことを知っているはずでしょ?何でそんなひどい事言うの」と言い返していたら、同じ出来事でも消化不良にはならなかったと思います。

しかし、言い返せませんでした。黙々と、ペットの世話をしてやり過ごしました。

結局のところ、私が言わないから、母は私が辛い思いをしていると気づかず、その後も心無い言葉を発し続けました。そして、私の心はついに壊れてしまい、これが、心療内科に通院することになった1つ目の理由です。

以上

「心療内科」に行くことになった理由、母

不妊は、自分だけで無く、親も想定していない出来事です。結婚したら子どもが出来るのは当たり前で、当たり前のことが出来ない娘を何とかしようと、母は私にプレッシャーをかけ続けました。そして、後に、母のそうした振る舞いは、私を苦しめることになりました。

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私は29歳で結婚しました。結婚前は実家暮らしで、父は他界しており、私は一人っ子で、実家には母・祖母(母方の母)・私の女3人暮らしでした。結婚後は、夫と他県で暮らすようになりましたが、電車で1時間半程の距離で、割りと頻繁に帰っていました。

帰る度に、赤ちゃん産みなさいよ、と言うのが母の口癖で、私は苦笑いしつつも、そのうち出来るだろうと思い、特に気にしていませんでした。そして、本当に苦労すること無く、むしろ、年2回しか性行為しなかったのに、妊娠しました。前回の投稿で、性行為で簡単に当たり前に妊娠する人達がいて辛い、と書きましたが、簡単って思ってしまうのは、自分の経験によるところが強いからです。

その妊娠は、心拍確認前に流産となりました。私は結婚前よりちょっと太っていて、母から妊娠を疑われ、妊娠したけど流産したことを伝えました。母からは、また次があるよ、と言われました。その時、次って何?体を心配したり、辛い経験を労ってはくれないんだ、と、寂しい気持ちになったことを覚えています。

流産してから3年以上が経ちましたが、次の妊娠はありませんでした。

つづく

毒を吐く為に始めたブログ

はじめまして、不妊女です。私は、不妊という出来事により心が腐ってしまいました。子どもが出来ないことが問題では無く、子どもが出来ないことで周囲から人間失格の烙印を押され、何より、周囲の言葉を真に受け、私自身が誰よりも自分を否定し、私の存在意義や存在理由を見失った事が、心を腐らせた原因です。

私の場合、「子どもが欲しい」という気持ちよりも、周囲に認められ、自分のプライドを回復させたくて、不妊治療の専門病院に通院し、甲状腺の病院、心療内科、鍼灸治療、日々の栄養管理に運動にと、働きながら精一杯出来ることをしてきました。それでも、妊娠せず、一方で、性行為で簡単に妊娠する人達が当たり前にいて、気持ちを保つのが難しくて、生きているのが辛くなって自殺しようと思いました。

しかし、首吊り、轢死、手首を切る、薬の過剰接種、青酸カリ、練炭、等々、死ぬ方法は色々あるけど、実行は簡単には出来なくて、八方塞がりの状態です。

このブログは、自分の中にたまった毒を吐き出す為に始めました。

自己完結型なので、不妊治療はしていますが、治療のお役立ち情報や前向きに頑張ります的な内容は一切ありません。以上