不妊女の毒吐きブログ

不妊により心が腐りました。

この世にとどまる理由を探して

こんばんは。


金曜日の夜って、週末前の嬉しさでワクワク。でも、日曜日の夕方ぐらいから雲行きが怪しくなり、月曜日の朝は地獄。


なんで、休みってすぐ終わるの?!


とりあえず出勤したけど、やっぱり気持ちが晴れなくて、とうとう夕方になり、やっとマシになってきた(笑)


(*ノ゚Д゚)八(*゚Д゚*)八(゚Д゚*)ノィェーィ!


月曜日だけに限らず、私は雨が降りそうな時、生理前など、テンションがどうやっても持ち直さない日があります。


嫌なことがあったり、ミスしたりしたら、天気や体調に関わらず、ガクンと落ち込むし。


しかも、私の特性ですが、落ち込み方が半端無くて、死にたい、死にたい、って、なります。


死ななくても良くない?


とりあえず、休憩してみたら?


やらないといけないと思っていることも、死にたいと思うぐらいなら、やらなくて良いんじゃない?


自分で自分を説得して、何とか気分のやりくりをしています。


きっと私だけが気分のやりくりをしている訳では無いと思うのですが、死にたいってなった時に、この世にとどまろうと思う何かが欲しいです。


その、何かについて考えてみましたが、


夫のことは好きだけど、夫の為に生きようとは思えません。


ペットも好きだけど、面倒を見てくれる人がいると思うと、私がいなくても大丈夫かなって思う。


親は、色々とあって気持ちが離れているので、難しいです。


趣味は、死にたい時に、私を引き留める程の力はありません。


学生時代や20代までは、将来があると思うと、辛くても、絶望することがあっても、将来の希望が生きる糧となりました。


でも、30代も半ばを過ぎると、ある程度、人生が確定した感じがして。


これ以上は良くならないのかな?って。


目指すものが無い。


自分がいなくても、誰も困らない。


一緒にいたいと思う人がいない。


なぜ生きているのか分からない。

死んだ方が幸せなんじゃない?


ずっと、このループにはまっています。


職場の人がよく子どもの話をしていますが、将来孫が出来たらって話で盛り上がっています。


子どもや孫に、自分の人生の幸せを賭けているようです。


私の両方の親の場合も、


子どもがいない私に対して、自分の幸せを壊されたと言わんばかりに、両方の親から責められました。


これまで頑張ってきた仕事を、辞めたら良いとか、義父に至っては、私のような存在が男の活躍の場を奪っていると言って、子どもを早く産めと責められました。


子どもが欲しい、孫が欲しいと思うことは、

自然のことだと思うけれど、子どもが出来ないこともある、それもまた自然のことで、自分が望んだり、認めているものしか受入れないのは、私を責める前に、自分の考え方を責めたらどうなのか、と思います。


話が逸れましたが、この世にとどまる何かについて。


「何か」なんて無くても、


何が無くともたくましく生きる。


今日、生きていたから、3年ぶりに車の運転をしました。


運転中、田園の中で電車が通過している風景が見えて、すごく綺麗でした。


それから、たまたま車で聞いた音楽が、また今日から頑張れば良いじゃんって歌詞で、胸に響きました。


この世には何も無いような書き方をしましたが、自分を感動させる何かは日常に沢山あるようです。


そんな日々を捨てずに、たくましく生きていきたいです。