不妊女の毒吐きブログ

不妊により心が腐りました。

少子化って言葉を撤廃して

今日もですが、ここ数年、政治の世界では少子化対策がトレンドですね。民間でも、前職の会社では、産休や育休制度があり、活用している人達もいました。そうした人達を、応援する気持ちは勿論ありますが、妊娠出産までの過程があまりにも私と違い、不公平感や不条理を感じたり、様々な制度があるからこそ、なぜ子ども作らないのかと上司や先輩から言われたり、複雑な気持ちでいました。

一方で、私は不妊治療で、助成金をもらったり、昨年4月からは保険適用され、金銭的な応援を税金からしてもらっています。だから、不満を言える立場では無いと分かっていますが、今の世の中で、私が感じている気持ちを書かせて頂きます。

子どもがいない人の個人的な悩みは、今も昔もあると思いますが、子どもが少ないことが社会問題だとされると事情が複雑になりそうです。もし、自分に子どもがいたら少子化問題の責任は自分には無いから、社会問題を子どもがいない人の個人の問題だと考える人が出てきそうだし、子どもがいない人は、少子化問題の原因は自分にあると責めてしまってもおかしくないと思います。私は、後者の立場で、そんな風に思ってしまい、日々のニュースを見聞きするのが辛いです。

出産子育て関連の政策や制度も、不妊治療の助成金や保険適用も、どちらも少子化対策ではありますが、不妊治療の方は肩身が狭いです。よく、不妊治療にお金を回すぐらいなら、産める人や子どもがいる人の支援に回せってネットのコメントで見かけます。少子化を問題とする以上、問題をクリアした人達が世間では優遇され、勝ち負けというのはおかしいですが、勝ちなんです。だから、私は今の世の中で生きているのがしんどいです。

少子化は確かに国を存続する上で一大事です。例えばですが、少子化対策を「子ども支援対策」と用語変換して、子どもを産み育てる大人に焦点を当てるのでは無く、産まれてきた子どもが幸せに暮らせるように、子どもに焦点を当てるようにしたり、不妊治療の種々の支援を、子どもを望む全ての人が利用できるサービスとしたり、支援する相手を変えたり支援の幅を拡げたりと、問題の対策では無く、みんなが生きていて幸福を感じるような世の中に向けての取り組みとして貰えると、嬉しいです。

こんな風に書くと、子どもを産み育てている人達のことを排除するようだけど、子どもが幸せに暮らせる社会は、つまり、親にとっても暮らしやすい社会であると思っています。そして、少子化を問題としないなら、子どもがいない人にとっても居心地が良い世の中に感じられると思います。